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京都地方裁判所 昭和56年(行ウ)20号 判決 1985年7月10日

京都市上京区今出川通七本松西入東今小路町七四四番地(以下の原告らに共通、但し原告寺田恵子をのぞく)

甲事件原告、乙事件原告(以下単に原告という)

訴外亡山本朔雄訴訟承継人

山本澄子

甲事件原告、乙事件原告(以下原告という)

訴外亡山本朔雄訴訟承継人

山本友香子

甲事件原告、乙事件原告(以下原告という)

訴外亡山本朔雄訴訟承継人

山本賀奈子

大阪府堺市百舌鳥梅町一丁目三〇三番地

甲事件原告、乙事件原告(以下原告という)

訴外亡山本朔雄訴訟承継人

寺田恵子

原告ら訴訟代理人弁護士

高田良爾

京都市上京区一条通西洞院東

甲事件被告、乙事件被告(以下被告という)

上京税務署長

土肥米之

指定代理人検事 森本翅充

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

被告が、昭和五五年一月二一日付で訴外亡山本朔雄に対してした、同訴外人の昭和五二年分の所得税につき、分離短期譲渡所得金額を一〇〇二万四七五六円とする更正処分及び過少申告加算税額を二〇万〇四〇〇円とする賦課決定処分を取り消す。

被告が、昭和五六年七月二五日付で同訴外人に対してした同訴外人の昭和五三年分の所得税につき、分離長期譲渡所得金額が二六一五万九一四九円とする更正処分及び過少申告加算税額を三一万八五〇〇円とする賦課決定処分を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  本件請求の原因事実

1  山本朔雄は、昭和五二年分の所得税の確定申告書に給与所得の金額を三〇七万円、分離短期譲渡所得の金額を〇円、特例適用条文を所得税法(以下法という)六四条二項、納付すべき税額を〇円と記載して法定申告期限までに申告した。

被告は、これに対し、昭和五五年一月二一日付で給与所得の金額を三〇七万円、分離短期譲渡所得の金額を一〇〇二万四七五六円、納付すべき税額を四〇〇万九六〇〇円とする更正処分(以下昭和五二年分の処分という)及び過少申告加算税の額を二〇万〇四〇〇円とする賦課決定処分(以下昭和五二年分の賦課決定処分という)をした。

山本朔雄は、これに対し昭和五五年三月一九日、被告に対して異議申立をしたところ、被告は、同年六月一八日付で棄却の異議決定をした。そこで、山本朔雄は、異議決定を経た後の原処分に対し、なお不服があるとして昭和五五年七月一七日、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、昭和五六年五月二七日付で全部棄却する裁決をした。その裁決書は、昭和五六年六月一一日送達された。

2  山本朔雄は、昭和五三年分の所得税の確定申告書に給与所得の金額を二八六万二〇〇〇円、分離長期譲渡所得の金額を〇円、特例適用条文を法六四条二項、納付すべき税額を〇円と記載して法定申告期限までに申告した。被告は、これに対し、昭和五六年七月二五日付で給与所得の金額を二八六万二〇〇〇円、分離長期譲渡所得金額を二六一五万九一四九円、納付すべき税額を六三七万一三〇〇円とする更正処分(以下昭和五三年分の処分という)及び過少申告加算税の額を三一万八五〇〇円とする賦課決定処分(以下昭和五三年分の賦課決定処分という)をした。

山本朔雄は、これに対し昭和五六年九月二一日、被告に対して異議申立をしたところ、被告は、同年一〇月二一日付で棄却の異議決定をした。そこで、山本朔雄は、異議決定を経た後の原処分に対し、なお不服があるとして同年一一月一九日国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、昭和五七年六月八日付で審査請求を棄却する裁決をした。その裁決書は、同年六月二六日に送達された。

3  山本朔雄は、昭和五九年五月一八日に死亡し、原告らが、その妻又は子として、山本朔雄の権利義務を遺産相続によって承継取得した。

4  被告は、山本朔雄の、分離短期譲渡所得、分離長期譲渡所得について、法六四条二項の適用を否認した点で違法である。

5  結論

原告らは、被告に対し、昭和五二年分の処分のうち、分離短期譲渡所得金額全部とこれに対応する昭和五二年分の賦課決定処分、昭和五三年分の処分のうち、分離長期譲渡所得金額全部とこれに対応する昭和五三年分の賦課決定処分の各取消しを求める。

二  被告の答弁

本件請求の原因事実中、1ないし3の各事実は認める。同4の主張を争う。

三  被告の主張

(昭和五二年分)

1 山本朔雄の昭和五二年分の所得金額は、別表1記載のとおりである。

2 争いのある分離短期譲渡所得について分説する。

(一) 山本朔雄は、昭和四七年五月一五日、京都市北区平野鳥居町八番二宅地一〇四・七四平方メートル及び同番地上家屋番号八二番木造瓦葺平屋建居宅四六・九四平方メートル(以下第一物件という)を、訴外早川直一ほか二名から八四〇万円で買い入れ、昭和五二年九月二八日、第一物件を訴外株式会社今井建設(以下今井建設という)に対し、代金一八七〇万二五九六円で売り渡し、同年一〇月三一日、右代金の支払を受けた。他に第一物件の取得に要した費用は、仲介手数料一五万円、登記費用一二万七八四〇円、合計二七万七八四〇円である。そうすると、第一物件の譲渡による短期譲渡所得金額は、一〇〇二万四七五六円となるが、右は、租税特別措置法三二条一項による分離課税の特例が適用されることとなる。

(二) この分離短期譲渡所得に、法六四条二項の適用がない理由は、次のとおりである。

(1) 山本朔雄は、訴外きぬがさ織物株式会社(以下きぬがさ織物という)の代表取締役であったが、きぬがさ織物は、同族会社である。

きぬがさ織物は、以前から訴外帝人商事株式会社(以下帝人商事という)と売買等取引をしていたが、その買掛金、支払手形及び借入金債務等の推移は、別表2記載のとおりである。

山本朔雄は、右債務を担保するため、昭和五〇年三月一二日及び同年一二月二六日、第一物件について、極度額をいずれも、二〇〇〇万円とする根低当権設定登記手続をした。

山本朔雄は、昭和五二年九月二八日、第一物件を、今井建設に一八七〇万二五九六円で売り渡し、同年一〇月三一日、右売買代金全額をきぬがさ織物の帝人商事に対する前記根低当権の被担保債務の弁済に充て、同日、前記根低当権設定登記は抹消された。山本朔雄は、これによりきぬがさ織物に対して一八七〇万二五九六円の保証債務履行に伴う求償債権を取得したが、同年一二月二五日、右求償債権は回収不能であるとして放棄した。

(2) さて、法六四条二項にいう「求償権の全部又は一部を行使することができないこととなったとき」とは、求償債権の相手方たる債務者について、破産宣告、和議開始決定をうけるか又は失踪、事業閉鎖等の事実が発生するとか、あるいは債務超過の状態が相当期間継続し、金融機関や大口債権者の協力を得られないため事業運営が衰微し再興の見込もないこと、その他これらに準ずる事情があるため求償権を行使してもその目的が達せられないことが確実になった場合を指すもので、これは、相手方債務者の資産や営業の状況、他の債権者に対する弁済の程度などを総合的に考慮して客観的に判断されるべきものである。そして、求償権を行使すれば支払を受けられるのに行使せず求償権を放棄し、その結果として求償権を行使できなくなったとしても、これは、法六四条二項に該当しないのである。

(3) ところで、本件では、山本朔雄は、きぬがさ織物に対し、次の理由で求償権を行使することは、可能であった。したがって、法六四条二項を適用する余地がない。

(ア) まず、きぬがさ織物は、昭和五七年六月三〇日までに、破産宣告、和議開始決定をうけていないし、事業閉鎖をした事実もない。また、同日までに、きぬがさ織物に対する債権に関して、債権者集会が開催されたことはなく、山本朔雄の当該債権について金融機関等のあっせんによる当事者間の協議に基づき締結された契約により切り拾てられた金額もない。

(イ) そこで、本件では、債務超過の状態が相当期間継続するなどし、昭和五二年一二月二五日までに求償権を行使しても、その目的が達せられないことが確実になった場合に該当するかである。

<1> きぬがさ織物の、昭和四七年七月一日から昭和五六年六月三〇日までの各事業年度末の資産、負債の額は別表3記載のとおりである。これによると、昭和五二年度(昭和五一年七月一日から昭和五二年六月三〇日まで、以下同じ用法による)に始めて債務超過の状態が生じたものの、その翌期以降の各期の債務超過額は減少の傾向を示していることが明らかである。

また、企業の短期的な支払能力を表わす基本的比率である流動比率及び当座比率は、別表3の<7>、<8>欄に記載したとおりである。これによると、山本朔雄が保証債務の履行に伴う求償権を放棄した昭和五三年度を底として毎期向上し安定した指数を示している。

(注) <省略>

<省略>

流動資産とは、売買取引に使用される財産で、商品、製品、原材料、半製品、現金、預金及び売上債権(受取手形、売掛金、未収入金等)などである。

当座資産とは、、現金、預金及び売上債権などのように短期間に現金に換えることができる資産である(流動資産より商品、製品、原材料、半製品などのたな卸資産を減じた資産)。

流動負債とは、支払手形、買掛金、短期借入金及び未払金などの短期負債であって、一年以内の短期間に返済ないし支払わねばならない負債である。

<2> きぬがさ織物の昭和四七年七月一日より昭和五七年六月三〇日までの各事業年度の純売上金額、売上原価、外注加工費、売上総利益金額、売上利益率、販売費一般管理費及び当期利益又は損失の金額は別表4記載のとおりである。

別表4の<1>純売上金額

山本朔雄が保証債務の履行に伴う求償権を放棄した昭和五三年度を底として着実に増加している。なお、昭和五三年度以降の各事業年度の純売上金額がそれ以前の各事業年度に比し少ないのは、従来は韓国より絞りの半製品を訴外蝶理株式会社(以下蝶理という)及び帝人商事を通じて仕入れ加工販売を主体に営業活動をつづけていたが、昭和四八年ころより不況となったため、同絞りの取引を逐次縮少し、昭和五一年にはほとんど仕入を中止し、それ以後染呉服を中心に営業活動をするようになったためである。

別表4の<4>売上総利益金額及び<5>売上利益率

昭和五二年度には、売上総利益金額について赤字を計上しているが、前述の取扱い商品の変更後の昭和五三年度以降の各事業年度の売上総利益金額は着実に増加している。

また、売上利益率についても、昭和五三年度以降はそれ以前の事業年度に比し高率を示すとともに安定している。

別表4の<7>当期利益金額又は損失金額

昭和四九年度より昭和五二年度までの四期は欠損を続けていたが、昭和五三年度以降毎期利益を計上している。

<3> きぬがさ織物の昭和四七年七月一日から昭和五七年六月三〇日までの各事業年度の借入金の期末残高は、別表5記載のとおりである。返済、借入を繰返しながらも全体としては、著しく減少している。また、山本朔雄が保証債務の履行に伴う求償権を放棄した昭和五三年度でも多額の借入金を返済している事実が認められる。

一方、国民金融公庫等の金融機関より新規借入がなされているが、もともと金融機関が融資するにあたっては、相手方の営業状態、財務内容等を綿密に調査して回収見込のある健全な企業に限って融資を行っていることからも、きぬがさ織物は、安定した企業内容を保持していたものということができる

<4> きぬがさ織物は、昭和五五年度以降次の新規資産を取得し事業の用に供している。

種類 細目等 数量 取得年月 取得価額(円)

建物 ガレージ・シャッター 一 昭和五六年一一月 一八万〇〇〇〇

機械・装置 ミニ52無芯箔巻機 二 五七年 四月 五〇万〇〇〇〇

車両・運搬具 トヨペットコロナパン 一 五四年一二月 一二九万六三〇〇

〃 ホンダタクト 一 五五年一一月 一一万〇〇〇〇

〃 カークーラー 一 五六年 七月 一四万三〇〇〇

〃 トヨタカムリ 2000SE 一 五六年一一月 一五二万〇〇〇〇

<5> きぬがさ織物の配当金は、昭和四八年度の事業年度を最後に無配当となったが、その期間は、昭和四九年度から昭和五六年度の各事業年度であり、昭和五七年度以降、一株当たり五〇円の配当をした。そして、役員賞与の支払を開始した。

(ウ) まとめ

以上の次第で、きぬがさ織物は、山本朔雄が前記保証債務の履行に伴い求償権を取得したとき以降、事業が着実に回復し、昭和五七年度までに十分な営業活動を行っているのであるから、山本朔雄が、昭和五二年一二月二五日に求償債権を放棄しても、求償債権の行使がその目的を達せられなかった場合であるとするわけにはいかない。

(昭和五三年分)

1 山本朔雄の昭和五三年分の所得金額は、別表6記載のとおりである。

2 争いのある分離長期譲渡所得について分説する。

(一) 山本朔雄は、昭和五二年二月二四日、京都市上京区今小路通七本松西入二丁目東今小路町七四四番三宅地一五四・〇四平方メートル(以下第二物件という)を、被相続人山本寅雄より相続(当該被相続人は、第二物件を昭和三三年一〇月四日訴外藤原朝治から二三三万円で買い入れた)し、昭和五三年一一月一四日、第二物件を原告山本澄子に対し、代金二九六六万七六八四円で譲渡し、同日右代金の支払いを受けた。他に第二物件の譲渡に要した費用は、仲介手数料一〇万円、登記費用七万八五三五円、合計一七万八五三五円である。そうすると、第二物件の譲渡による長期譲渡所得の特別控除額一〇〇万円を控除した長期譲渡所得金額は、二六一五万九一四九円となるが、右は、租税特別措置法三一条一項による分離課税の特例が適用されることとなる。

(二) この分離長期譲渡所得に、法六四条二項の適用がないことは、前に分離短期譲渡所得について述べたのと同じ理由である。

したがって、きぬがさ織物は、山本朔雄が前記保証債務の履行に伴い求償権を取得したとき以降、事業が着実に回復し、昭和五七年度まで十分な営業活動を行っているのであって、山本朔雄がきぬがさ織物に対して求償権を行使しても、その目的が達しえないとは到底いうことができない。

(補足)

1 売上状況について

きぬがさ織物の昭和五三年度から昭和五七年度までの各期中の売上金額及び期末売掛金残高は、次のとおりであって、売上げが毎期順調に増加しており、また、主要取引先の一つである帝人商事に対しても、別表7のとおり、毎月売上金額を計上していた。

取引年度 期中売上高(円) (自七月一日至六月三〇日) 売掛金期末残高(円) (六月三〇日現在)

昭和五三 六七五三万七二五一 二四八万九四一二

昭和五四 一億〇七八五万一〇二二 一三〇八万三六二六

昭和五五 二億〇一一七万五一四一 一九三〇万一一六八

昭和五六 一億八六八九万九九七二 二五八八万七六八一

昭和五七 二億六七二五万六三七〇 三七〇九万九〇〇〇

2 仕入状況について

きぬがさ織物の昭和五三年度から昭和五七年度までの各期中の仕入金額及び期末買掛金残高は、次のとおりであって、期中仕入れ及び期末買掛金残高があることから、仕入先から経済的信用を得ていたものである。

取引年度 期中仕入高(円) (自七月一日至六月三〇日) 買掛金期末残高(円) (六月三〇日現在)

昭和五三 四一八〇万七六三七 一一一六万五八一〇

昭和五四 八六三五万九六七四 二九五八万二二七五

昭和五五 一億四九九一万八五五四 二九六三万五二〇九

昭和五六 五九八五万六二六五 二五一〇万八四六五

昭和五七 二〇二五万九六五〇 二四二八万八二六一

なお、きぬがさ織物の各仕入先は、きぬがさ織物に対して掛売りをしていたところ、各仕入先は、この売掛金債権を放棄することなく債権を回収していた。

3 銀行融資状況

きぬがさ織物は、山本朔雄が求償権を取得したころでも、滋賀銀行西陣支店から昭和五二年一〇月三一日五〇〇万円及び同年一二月一〇日五五〇万円の手形貸付けによる融資を受け得たほか、西陣信用金庫本店からも同年一一月二日三口合計一二〇〇万円、更には滋賀相互銀行西陣支店からも同年八月二五日五〇〇万円、同月三一日五〇〇万円及び同年一〇月三一日七〇万円の融資を受ける等して、その経済的信用を得ていたものである。

なお、きぬがさ織物は、滋賀相互銀行西陣支店に対して昭和五三年六月一九日七〇万円、同年八月三日二五万円、同月三一日二五万円、同年九月三〇日二五万円及び昭和五四年三月五日二五万円と小口ではあるがいずれもきぬがさ織物の営業収益から返済していたものであり、支払能力に欠けることはなかったのである。

また、きぬがさ織物は、昭和五三年五月から滋賀相互銀行西陣支店との間で手形割引に係る取引を開始しているところ、その取引状況は次のとおりである。これによれば、きぬがさ織物は、手形割引額が順次拡大するだけの経済的信用性のある取引先と取引を行うことにより営業活動を順調に継続させていたものであり、そして、昭和五五年一〇月には同銀行から一五〇〇万円の新規融資を受けているのである。

時期 手形割引額(円)

昭和五三年 六月末 四五九万六〇〇〇

昭和五三〃一二〃 一八七〇万九〇〇

昭和五四〃一二〃 一三六三万四〇〇〇

昭和五五〃一二〃 一五一〇万〇〇〇〇

昭和五六〃一二〃 六二二五万三〇〇〇

昭和五七〃一二〃 六七三四万八〇〇〇

昭和五八〃四〃 六三八六万八〇〇〇

4 営業費用の支払状況について

(一) 役員報酬及び従業員給料

きぬがさ織物の役員報酬及び従業員給料(販売員給与及び事務員給与並びに従業員賞与の合計額。以下同じ)の支払状況は、次のとおりである。

年度 役員報酬(円) 従業員給料(人数) (円)

昭和五三 三七八万〇〇〇〇 (三人) 六六九万四一七六

昭和五四 四三二万〇〇〇〇 (三人) 四三八万〇〇〇〇

昭和五五 四三二万〇〇〇〇 (三人) 六八六万〇〇〇

昭和五六 四六〇万〇〇〇 (三人) 一〇二一万六三七〇

昭和五七 七〇〇万〇〇〇 (四人) 一一七〇万六四一三

昭和五八 九二〇万〇〇〇〇 (四人) 一三九八万一八八八

(二) 支払家賃の支払状況について

原告山本澄子は、昭和五三年一一月一四日、きぬがさ織物から京都市上京区今小路通七本松西入二丁目東今小路町七四四番地の三五所在の建物を一〇〇〇万円で取得し、これを以後きぬがさ織物に貸し付けていたが、その賃料の支払状況は、次のとおりである。

年度 支払賃料の額 (円) 摘要

昭和五四 九六万〇〇〇〇 昭和53・11~昭和54・6 毎月一二万円

昭和五五 一四四万〇〇〇〇 昭和54・7~昭和55・6 毎月一二万円

昭和五六 一七六万〇〇〇〇 昭和55・7~昭和56・2 毎月一二万円

昭和56・3~昭和56・6 毎月二〇万円

昭和五七 二四〇万〇〇〇〇 昭和56・7~昭和57・6 毎月二〇万円

昭和五八 四七〇万〇〇〇〇 昭和57・7 月二〇万円

昭和57・8~昭和57・12 毎月三〇万円

昭和58・6~昭和58・6 毎月五〇万円

5 まとめ

きぬがさ織物は、山本朔雄が本件求償権を放棄した以降も、営業を継続して毎期売上金額を増加させていたのであり、また、買掛けをすることができるだけの経済的信用を取引先から得ていたのである。

そして、求償権を行使することができないこととなったかどうかを判断するについては、きぬがさ織物の営業状態のすべてを考慮すべきであることはいうまでもなく、従前と異なる業種を開始してこと並びに営業外の臨時収入があることを除外して考慮しなければならない理由はない。そして、山本朔雄は、きぬがさ織物の代表取締役の地位にあった者であるから、右事情を十分承知していた。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  山本朔雄の昭和五二年分及び昭和五三年分の給与所得が、被告主張の額であることは、認める。

2  山本朔雄の昭和五二年分及び昭和五三年分の分離短期譲渡所得及び分離長期譲渡所得の各金額が、被告主張どおり法六四条二項の適用がないとすると、被告主張の額であることは認める。

3  被告主張の昭和五二年分及び昭和五三年分の各2の(一)の事実は、いずれも認める。

4  山本朔雄がした求償債権の放棄には、法六四条二項が適用されるが、その理由は、次のとおりである。

(一) きぬがさ織物は、昭和四九年度から欠損金を計上し、昭和五一年度期末決算まで連年欠損となった。その状態は、別表8記載のとおりである。

そこで、きぬがさ織物は、帝人商事など主要仕入先からの商品の供給停止にあい、主要仕入先は、債権回収のための取引に全力を傾けた。

山本朔雄は、きぬがさ織物の会長(山本朔雄の父)が、昭和五二年二月病没したことを契機として、帝人商事、蝶理などと協議の結課、第一物件の任意処分をしてその全額を帝人商事に支払った。そして山本朔雄は、昭和五二年一二月二五日、きぬがさ織物に対する求償債権一八七〇万二五九六円を放棄した。

(二) 山本朔雄が、回収不能と判断して求償債権を放棄した理由は、次のとおりである。

きぬがさ織物は、同年、一一月三〇日現在、銀行からの融資及び割引が事実上停止され、定期預金担保のもとに借入れができたにすぎない。そのうえ、主要仕入先から商品の供給が停止され、きぬがさ織物が振り出した手形は、山本朔雄や同族関係者の個人資産で代位弁済することによってその決済の延期が認められる状態にあった。しかし、山本朔雄や同族関係者の個人資産をもってしても、きぬがさ織物の債務金額の支払は不可能であり、きぬがさ織物の再起の見通しがたたない有様であった。

そして、主要仕入先は、山本朔雄及び同族関係者の個人資産による代位弁済を強く求めたわけであるが、このことは、きぬがさ織物の債権者が、きぬがさ織物からの回収不能と判断したうえでのことである。

以上のとおり、きぬがさ織物は、昭和五二年一二月二五日現在、債務超過に陥り、金融機関及び大口債権者の協力がえられないため事業再建の見通しがなかった。したがって、山本朔雄は、その求償権を行使してもその目的が達せられないことが確実であると判断して、求償債権を放棄したのである。

(三) 山本朔雄は、昭和五三年一一月一四日、第二物件を売却し、その代金を蝶理の債務一九六六万七六八四円、帝人商事の債務一〇〇〇万円に充当し、きぬがさ織物に対し、二九六六万七六八四円の求償債権を取得したが、同日右求償債権を放棄した。その放棄の通知は、同月二〇日、きぬがさ織物に到達した。

(四) 山本朔雄が、回収不能と判断して求償債権を放棄した理由は、次のとおりである。

きぬがさ織物は、債務超過の状態が相当期間継続し、大口債権者は、事業再建の見通しがないものと判断して個人資産による保証債務の履行を求めたのである。そして、山本朔雄及び同族関係者の個人資産をもってしても、なお、帝人商事に対し、三五五三万〇八四三円の負債が残ることになり、山本朔雄の求償債権の回収は不可能の状態にあった。

以上のとおり、きぬがさ織物は、昭和五三年一一月一四日現在、債務超過に陥り、金融機関及び大口債権者の協力がえられないため事業再建の見通しがなかった。したがって、山本朔雄は、その求償権を行使してもその目的が達せられないことが確実であると判断して、求償債権を放棄したのである。

(五) 別表2ないし5の各記載は、認める。

(六) きぬがさ織物の昭和五三年度には、山本朔雄及び同族関係者からの求償債権の放棄による免除益が四七九一万円あり、昭和五四年度には、六九二二万四五九五円の免除益があった。それと、社屋売却益二二五万五九〇五円があった。これらがなければ、きぬがさ織物の昭和五三年度には、一億四一六六万一四三一円の債務超過があり、昭和五四年度では、一億四三五〇万九三九一円の債務超過になる。

被告は、免除益受入後の数値を主張しているが、これは、正確ではなく、求償債権放棄前でなければならない。

昭和五三年度

<省略>

<省略>

昭和五四年度

<省略>

<省略>

流動比率は、企業の短期的な支払能力をあらわす比率で一一〇%以上であることが望ましく、一〇〇%未満の場合は、支払能力は最悪であることを示す。当座比率は、現金、預金及び短期間に資金化できる債権をもって流動負債の支払に備えるための準備金を判断する比率で、九〇%以上であることが望ましく、八〇%未満の場合は最悪の状態である。前述の流動比率及び当座比率からきぬがさ織物の支払能力を判断すると、支払能力は皆無であるということができる。

(七) 昭和五三年度及び昭和五四年度には、前述した求償債権の免除益と社屋売却益を、貸借対照表上各期の利益に計上したため、債務超過額が減少したにすぎず、事業の業績によるものではない。この免除がなければ、昭和五三年度は二七〇万三一〇三円、昭和五四年度は一八四万七九六〇円の欠損金になる。

(八) きぬがさ織物の純売上金額が、昭和五四年度から増加したのは、新製品の開発に成功し、従前と全く業種を異にする織物製造業として再出発したからである。そのため、きぬがさ織物は、昭和五四年五月、国民金融公庫から融資が受けられたのである。

(九) きぬがさ織物が、昭和五四年度に多額の借入金を返済したのは、金融機関が、昭和五三年六月から昭和五四年にかけて、担保の定期預金と貸金とを相殺したからである。このことは、きぬがさ織物の財務状態が劣悪であった証左である。

(十) 被告が、補足で挙げている数字は、すべてそのとおりであるが、きぬがさ織物が、そのように成績がよくなったのは、昭和五四年度以降新製品の開発に成功したからであり、山本朔雄が、求償債権を放棄したころは、きぬがさ織物が債務超過のため事業の継続が不可能な状態にあり、新製品の開発など考えも及ばなかった。

被告の主張は、その後の事情を強調するもので、誤っている。

山本朔雄が求償債権を放棄した当時のきぬがさ織物の経営状態は、別表9記載のとおりで、債務超過の状態にあったことは、明白である。

被告主張の滋賀銀行西陣支店、西陣信用金庫本店からの融資は、いずれも定期預金を担保にしたもので、満期相殺によって完済されたにすぎず、きぬがさ織物の営業活動が順調である証在にはならない。

五  原告らの反論に対する被告の反駁

(一)  帝人商事は、山本朔雄が求償債権を放棄したころ(昭和五二年一二月二五日又は昭和五三年一一月一四日)、きぬがさ織物の仲介によって韓国産正絹絞り製品の輸入業務をしていたが、帝人商事は、きぬがさ織物に支払うべき仲介手数料で、きぬがさ織物に対して有していた残債権を回収したもので、帝人商事が、残債権の回収が不能であると判断したことはなかったし、債権放棄をしたこともない。

(二)  求償債権を行使してもその目的が達せられないことが確実になったかどうかは、求償債権を放棄した後の事情も判断に加え、債務者の資産や営業状況、他の債権者に対する弁済の程度などを総合的に考慮して客観的に判断すべきであり、求償債権を放棄したその時点の債務者の状態だけで確実であったと判断することは、できない。

山本朔雄は、求償債権の一部を適宜行使することをせず、求償債権を取得して極めてわずかの期間(第一物件について五六日、第二物件について同日)にこれを放棄してしまったのである。しかも、きぬがさ織物が昭和五二年度にはじめて債務超過の状態になってさほど期間が経過していないのに求償債権を放棄しているが、この放棄時には、きぬがさ織物の債務超過の状態が急速に改善されつつあったのである。

以上の点を考えたとき、山本朔雄が、求償債権の放棄をするについて、その放棄時のきぬがさ織物の経営状態だけで判断することには、理由がない。

(三)  きぬがさ織物と、金融機関との取引状況は、別表10、11記載のとおりであり、これらの表からいえることは、きぬがさ織物は、西陣信用金庫本店から預金担保なしで九八四万五五一〇円の手形貸付を受けていたのであるから、この一事をもってしても、きぬがさ織物は、同信用金庫から経済的信用を得ていたことは明らかであり、また、きぬがさ織物は、滋賀銀行西陣支店における預金残高七三〇〇万円のうち手形貸付残高六七五〇円を超える五五〇万円及び西陣信用金庫本店における預金残高一二〇〇万円をいつでも解約し得たのであるから、これに対して求償債権を行使しようとすれば行使し得たということである。このことは、滋賀銀行西陣支店における預金残高七〇六〇万二三七二円のうち手形貸付残高六四〇〇万円を超える六六〇万二三七二円についてもいえることである。

六  被告の反駁に対する原告らの再反論

(一)  きぬがさ織物の帝人商事に対する仲介手数料は、昭和五二年一〇月から引き下げられ、残債権の回収を見込むに足るものではなかった。

帝人商事は、昭和五三年六月から昭和五四年一二月までの間一六〇〇万九四七〇円の残債権回収をしたが、このうちの一〇〇〇万円は、第二物件の売得金からの支払であり、帝人商事が、仲介手数料でもって、残債権の回収をはかったとするわけにはいかない。

(二)  被告は、きぬがさ織物が西陣信用金庫本店から預金担保なしに九八四万五五一〇円の手形貸付を受けていたと主張しているが、きぬがさ織物は、昭和五二年一〇月三一日現在、二七三〇万円もの証書借入残があったし、九八四万五五一〇円は、不動産担保により借り入れた一四〇〇万円の残債務である。したがって、まだ不動産担保に余枠があったのである。しかし、西陣信用金庫本店は、これを用いず、昭和五二年一一月二日、預金担保に一二〇〇万円の手形貸付をしたのである。このことは、きぬがさ織物の信用度が皆無であった証在である。

滋賀銀行西陣支店での預金残高のうち手形貸付残高を超える五五〇万円は、昭和五二年一二月一〇日、同額の手形貸付を受けて、同日付で、西陣信用金庫本店に対する五二七万九〇〇〇円の弁済に充てられた。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、ここに引用する。

理由

一  本件請求の原因事実中1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。

二  山本朔雄の昭和五二年分及び昭和五三年分の所得金額のうち、各給与所得の金額は、当事者間に争いがない。

三  山本朔雄が、第一物件を譲渡することにより取得した分離短期譲渡所得、第二物件を譲渡することにより取得した分離長期譲渡所得の各金額の計算が、法六四条二項の適用がない限り、被告主張の各金額どおりであることは、原告らの自認するところである。

そこで、本件の争点は、山本朔雄が、昭和五二年一二月二五日及び昭和五三年一一月一四日、きぬがさ織物に対してした求償債権の全部放棄に、法六四条二項の適用があるかどうかに尽きる。

四  法六四条二項の「求償権を行うことができないこととなったとき」とは、主債務者が、破産宣告を受けたり、和議手続の開始を受けたりしたこと、あるいは、金融機関や大口債権者の非協力により事業再建の見通がつかず、債務超過の状態が相当期間継続し、衰微した事業を再興させる公算が立たないこと、その他これに準ずる事情が生じたことにより、求償権を行使してもその目的が達せられないことが客観的に判断して確実になった場合を指称すると解するのが相当である。したがって、そのような事情にないときには、求償債権の行使が可能であるから、求償債権の放棄に対して、法六四条二項を適用する余地がないことになる。

さて、本件では、きぬがさ織物に対して破産宣告や和議手続が開始されたわけではなく、きぬがさ織物は、山本朔雄が求償債権の放棄をしたときでも、その事業を継続していたことは、原告らの自認するところである。

このように主債務者が事業を継続している場合には、物上保証人が取得した求償債権を放棄したその時点だけに限って、主債務者の事業の継続不能が客観的に判断して確実になったとするわけにはいかない。なぜなら、主債務者の事業を或る程度幅をもって継続観察しないことには、求償債権の行使が目的を達せられないことが客観的に確実になったといえないからである。

法六四条四項は、確定申告書の提出がなかった場合又は同条二項の適用を受ける旨の記載がない確定申告書の提出があった場合でも、その提出がなかったこと又はその記載のなかったことについてやむを得ない事情があると認められるとき、すなわち、確定申告書提出時より後に、求償債権を行使しても目的を達せられないことが客観的に確実になった場合には、そのことを理由に、その段階で同条二項の適用を求めて修正申告ができることを認める規定であるが、この規定の趣旨からしても、求償債権放棄のその時点に限って求償債権行使の目的不達成性を客観的に判断することが無理である場合があることを是認せざるをえないのである。

五  そこで、この視点に立って本件を観る。

1  別表2ないし5の記載は、当事者間に争いがないから、これらの表から、次のことが明らかである。

(一)  きぬがさ織物が、売上総利益金額上欠損を出したのは、昭和五二年度ただ一度だけである。

(二)  きぬがさ織物は、決算上昭和四九年度から昭和五二年度まで損失を計上した。しかし、昭和五四年度からは、純売上金額、売上総利益金額も上昇し、昭和五三年度以降の売上利益率は、昭和四八年度を上回る程である(別表4参照)。

(三)  きぬがさ織物の期末利益は、昭和五三年度から回復しているが、その理由は、山本朔雄及び同族関係者の個人資産の売却代金の収入があったほかに、きぬがさ織物が新製品を開発して販売できたことにある。もっとも、その新製品開発の時期であるが、売上利益率(別表4の<5>)をみる限り、昭和五三年度中であることが窺知できる(この項は、証人葛田貴の証言によって認める)。

(四)  別表5をみる限り、金融機関が、きぬがさ織物に対し、引き続いて取引を継続している。

2  別表8(この記載について、原告は、明らかに争わないから自白したものとみなす)によると、大口債権者である帝人商事は、債権を放棄しないばかりか、昭和五二年四月から昭和五六年五月まで、取引を継続していることが判る。

3  そうして、きぬがさ織物の昭和五三年度から昭和五七年度までの売上金額、仕入金額及び期末買掛金残高、手形割引額、役員報酬、従業員給料、支払家賃が、被告主張の各金額(被告の主張中(補足)の1ないし4)であることは、原告らが自認しており、きぬがさ織物が、昭和五七年度から株式配当と役員賞与の支給をはじめたことも、原告らが明らかに争わないから自白したものとみなす。

4  以上の諸事情を総合勘案したとき、山本朔雄が求償債権を放棄した昭和五三年度には既に売上利益率が回復しているのである。そうして、大口債権者は、きぬがさ織物に対する債権を放棄することなく、取引を継続しているし、金融機関も、その取引を継続している。そのうえ、きぬがさ織物は、役員報酬、従業員給料、家賃を引き続いて順調に支払い、その額も増額されている点からして、山本朔雄が、昭和五二年一二月二五日に求償債権を放棄したとき、求償債権を行使してもその目的が達せられないことが客観的に確実であったとは、到底いえない。まして、昭和五三年一一月一四日の求償債権の放棄は、なおさらである。

六  むすび

以上の次第で、山本朔雄が、昭和五二年一二月二五日及び昭和五三年一一月一四日にした求償債権の放棄に対し、法六四条二項の適用がないことに帰着するから、昭和五二年分の処分、昭和五三年分の処分には、原告ら主張の違法はなく、これを受けてされた昭和五二年分の賦課決定処分、昭和五三年分の賦課決定処分も適法である。そこで、原告らの本件請求を失当として棄却し、行訴法七条、民訴法八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 古崎慶長 判事 武田多喜子 判事補 長久保尚善)

別表1 昭和五二年分の所得金額

<省略>

別表2 きぬがさ織物の帝人商事に対する債権・債務の各期末残高

<省略>

(注)1. 借入金は、昭和54年6月30日期まで手形債務として存在していたものを、同55年6月30日期より借入金として処理しているものである。

2. 債権欄の受取手形及び計の内書は、割引手形及び受取手形の裏書譲渡の額を示す。

別表3 きぬがさ織物の資産・負債の各期末残高

<省略>

(注) 差引金額欄の△は、債務超過額を示す。

別表4 きぬがさ織物の主な損益項目等の金額

<省略>

(注) 各欄の△は損失を示す。

別表5 きぬがさ織物の借入金の各期末残高

<省略>

(注) 帝人商事よりの借入金は、昭和51年6月30日期より同54年6月30日期まで手形債務として存在していたものを同55年6月30日期より借入金として処理しているものである。

別表6 昭和五三年分の所得金額

<省略>

別表7 きぬがさ織物との取引額(帝人商事の仕入額)

<省略>

<省略>

別表8 きぬがさ織物(株)の自己資本金額等の一覧表

<省略>

(注1) 別表3の<6>

(注2) 別表4の<7>

別表9 きぬがさ織物(株)の各月売上金額、・仕入金額・売上原価・売上総利益・経常利益一覧表

<省略>

別表10 きぬがさ織物の手形貸付残高及び預金残高

昭和五二年一〇月三一日現在

<省略>

<1> 昭和五二年一〇月三一日現在の滋賀銀行西陣支店における預金の明細

<省略>

<2> 昭和五二年一〇月三一日現在の西陣信用金庫本店における預金の明細

<省略>

別表11 きぬがさ織物の手形貸付残高及び預金残高

昭和五三年一月三一日現在

<省略>

別表12 昭和五十三年一月三一日現在の滋賀銀行西陣支店における預金の明細

<省略>

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